STAFF INTERVIEW  VOL.1
  • JOURNAL

 

“Journal”では garage のあれこれを少しずつご紹介したいと思います。
初回は garage の誕生秘話、名古屋への進出について代表の二村昌彦にインタビューしました。



―まずgarageといえば豊橋の本店について触れないわけにはいけません。2007年に豊橋店をオープンするきっかけについて教えてください。

種苗会社の次男坊だった僕は、自然と植物に接する機会が多くて、小さいころから漠然と将来は植物に関わる仕事をするんだという意識がありました。そのまま成長して大学時代にはインテリアにも興味の幅が広がり、さて就職だというときにホームセンターへの入社を選択。ホームセンターは植物から家電、インテリア、木材までいろいろな商材を取り扱っているので様々な知識を得ることができました。店長やバイヤーの経験も積むことができたところで、ふと疑問に思ったことがあったんです。

自分は植物は生きものであって、ともに時間を共有するもの、大切に育むものだという思いが昔からありました。だけどホームセンターの植物は商品として置いてある部分が大きく違和感が生まれたんです。もちろん今も商品として植物を販売しているわけだから同じなんですけど、僕はただ植物を販売するだけではなくて、その空間に植物が入ることによって生まれる効果、空間の見え方、置く環境も含めて植物を取り巻くすべてを意識して販売していきたいなって思ったんです。そこで自分のイメージする植物との暮らしを提案していけるようなお店を構えることにしました。植物だけではなく、その横に置きたくなるようなインテリアを一緒に販売するスタイルのはじまりですね。

そこに至るまでにはもうひとつとても重要な出来事があって。会社を辞めてしばらくオランダで暮らしていた時期があるんですけど、そこで触れた生活が僕の人生に影響を与えてくれました。例えばヨーロッパの人たちは「今日は天気がいいから花を買ってかえろう!」みたいな感じで、すごく自然に植物を生活に取り入れています。また古いものに手を加えて自分好みのインテリアに仕立てたり。時代の流れにとらわれずに、“ラフさ”と“使い込んだ味わい”を活かした自分のスタイルで生活をしているところがとても刺激的で、こんな生活の提案ができらたいいなと思ったんです。そんなことが重なって、12年前に最初のお店をオープンしました。

 

―豊橋店をオープンしてから現在に至るまでに様々なことがあったと思います。どんな経験を経て今のスタイルを築いたのですか?

名古屋でもなく豊橋にあり、バスや車を使ってわざわざ足を運んでもらうような場所で、最初はお客さんがとても少なくて。もともとあった農業用の鉄パイプ工場をリノベーションしたので箱は大きかったんですが、中身の商品は少なくスカスカの状態でしたね。それをいかに素敵に見せるか毎日毎日ディスプレイして過ごしていました。オランダでの生活で影響を受けた“ラフさ“”と“使い込んだ味わい”をどうやったらうまく表現できるか、物を見せるというより空間で見せることを意識して常に工夫していました。しかもお金がなかったので、いかにお金をかけずにできるかが重要で。自分にできることは何かを探る毎日でした。庭に木を1本植える仕事をもらい、そこから庭を飾る楽しさを伝え次の仕事へつなげていくとか、自分の経験を活かしてDIY教室ができるんじゃないかと思えたら早速ワンコインのクラフトクラスを開催してみたりとか、とにかく自分にできることすべてをやり尽くそうとしました。

そうこうしているうちに少しずつ感度の高いお客さんが集まるようになってきました。珍しいもの、他にはないものを求めて遠方からも足を運んでもらえるようになってきたので、仕入れをするときには「あの方が喜んでくれそうだな」なんてお客さんの顔を浮かべて買い付けていました。その方たちがわかってくれれば万人に受けなくてもいいやって、ちょっと尖っていた時期でもありましたね。そういうお客さんたちの感性もgarageを作っていくひとつの大切な要素となっていきました。様々な人との関わりがどんどん新しいつながりを作り、ミュージシャンやアーティストと出会う機会を与えてくれて、音楽を含めたイベントや絵を飾るギャラリースペースの設置へと派生していくことになったんです。それがオープンして5年目くらいですね。やっとgarageらしい形になってきたと実感したときでした。そうやって自分以外の様々な人から影響を受けて、新しい発見があったり学びがあったり。失敗することもあったけど、怖いものなしでいろいろ挑戦できる貴重な時間でした。

 

―豊橋をオープンしてから10年後に名古屋店がオープン。わかる人に伝わればいいと独自のスタイルを貫いてきたgarageが名古屋へ出店を決めた理由は?

ひとつの理由としては、僕が飽き性だということですね(笑)。同じことをじっと続けていくことが苦手で。なんとなくいつもワクワクしていたいんです。豊橋でこだわりを持ったお店作りをしてきて、口コミでたくさんの方に知っていただくことができました。遠方からもたくさん来てくださって、もっと可能性があるんじゃないかと思えたんです。そんな頃にちょうど名古屋への出店のお話をいただきました。もちろんめちゃくちゃ悩みましたよ。でもこれは挑戦だって自分を奮い立たせました。商業施設の中というのも逆に新鮮で、都会的なgarageを作ってみたいって気持ちになりました。そう思ったら今までやったことないことができるんじゃないかってワクワクしましたね。その間に浜松にもお店を出しているんですけど、そこはもともと織物工場だったところで豊橋とは違い小さいスペースなんです。でもそれが逆に魅力的だなと思って。そうやってgarageではあるんだけど、豊橋とはどこかズレのあることをやっていきたいと思っていたんです。

 

―最後に、これからも大切にしたいこと。そして、これからのgarageを教えてください。

今でもずっと共通して言えることは、自分が仕入れた植物や鉢、それとかインテリアを僕がイメージした通りにお客さんが組み合わせて購入してくれたり、自分の意図したことが口に出さなくても伝わっているとテンションが上がりますね。また仕入れた規格外の植物を同じように気に入ってくれるお客さんがいたり、植物が美しく見えるときやコーディネイトをお客さんと共有できると、それはすごく嬉しい瞬間で、いつまでも大切にしたいと思います。またいろいろな事業が発展しても根底は「植物と暮らす」がコンセプトです。そこは絶対に崩さずに12年前から意識してきた“ラフさ”と“使い込んだ味わい”を基盤として、それぞれの店舗がそれぞれの色で進化を遂げていくことが理想ですね。

決して流行りに流されることなくgarageらしいスタイルで。

 

interviewer:Kyoko Harada

二村昌彦

二村昌彦

Masahiko Futamura
garage 代表

愛知県豊橋市出身
好きな食べ物:味噌汁
老後は自分で育てた野菜を使った味噌屋さんがやりたいです。