植物のおはなし VOL.8
  • COLUMN

これまでたくさんの植物を育て、そして時には枯らしてきました。
枯れるということ、それはあえて言うならば『植物の死』とも言えます。

私にとっての植物は、インテリアの一部であり、生活の一部。
コレクターではないけれど、趣味であり、日々の生活に喜びをもたらしてくれる存在です。

花が咲いた。
新芽が出た。
枝分かれした。
水を吸ってハリが出てきた。

日々小さな変化を積み重ねていく植物たちは、育てる私たちに小さくない喜びを与えてくれます。

わずかな変化の中にも煌めくような生命感を感じさせてくれる植物たち。
同様にその死も、日々少しづつ変化していくベクトルが違うだけかもしれません。

一緒に暮らしている家族の顔色が悪ければ、すぐに気づくように。わずかな変化でもそれが良い変化なのか悪い変化なのか、毎日きちんと向き合っているからこそわかることがあります。
それは何度経験しても、悲しい経験であり切ない記憶です。
だけど、日々観察していればこそ、それを遅らせることや止めることもできます。

昨年、放置気味に育てていたサボテンが日に日に弱っていきました。
色は一部茶色くなり、徒長気味で長細く育ち、だんだんとしぼんでいっているような気がしていました。
しかしそこはサボテンなので、棘があるため触ってハリを確かめることもできず、どうしたものかと日々頭の片隅に不安を抱えながらすごしていました。
冬を越え春を迎え、他の植物たちが生命力みなぎる成長を見せ始めてもなお、件のサボテンは変化を見せず弱った姿のままでした。しかしそれは変化していないのではなく、私たちには見えないスピードで、少しづつ死に向かっていたのかもしれません。

初夏を迎え、枯れてはいないながらもいまだ生命感を取り戻さないサボテンを前に、私は一大決心をしました。
『銅切り』を実行してみよう。

『銅切り』とはサボテンの茎をナイフなどで横に切断し上下に株分けすることで、根腐れや徒長したときに行われ、カットした上部を残して再生させる技術のことです。
噂には知っていましたが、もちろんこれまで体験したことのないこと。
たくさんの不安を抱えながらも、何とかこのサボテンを生かしたい、復活させたいという思いで、ついに私はその儀式にのぞみました。

弱ったサボテンを鉢から抜き土を払い、横に寝かせてナイフで切断。上部を1日乾燥させ、新しい土にそっと置きます。
儀式はあっけなく終わりました。
しかし大事なのはここからです。
見えない変化を察知すべく、来る日も来る日も観察します。
なにも変化しません。しかしこの局面においては、しぼんでいったり茶色くなったりしないで形をキープできているということこそが最大の結果です。本当の変化は見えない土の中で起こっているのです。

そんな儀式から約一年。
現在のサボテンの姿がこちら。

しっかりと根を張り、新しい棘を出し、ぷっくりとみずみずしくふくらんできました。

自然の持つ力で、自ら傷をふさぎ根を再生し、また新たな成長を始める。
死に向かっていたベクトルを、再び生へと変えていく。
なんという生命力でしょう。
目には見えない変化を日々の観察を通して察知し、適宜必要なお世話を想像しながら育てていく。自然の持つ神秘や生命力に触れること。これもひとつ、植物を育てる醍醐味ではないでしょうか。

私たちの生活を彩ってくれる大切なパートナーである植物たち。
だからこそ、日々少しづつでも向き合っていきたいものです。そうすれば植物たちはきっと、私たちにさらにたくさんの喜びを与えてくれるのだと思います。

writer:Ryo Yoshida